今晩は薄井宣正です。
広島特集も今日でフィナーレと相成りました。
生まれて初めての地 広島はとても意義ある
日となりました。
2月13日私は広島原爆ドームを訪れました。
ところが・・・・
来てみて唖然とした。
足場を組んで白いネットシートが張られていたのである。
修復工事である。
位牌の近くに来て、30秒位だろうか手を合わせた。
とても長い空間のような気がした。
我に返ると車の騒音、鳥の囀り、そして歩行者達の
話し声。手を合わせることに少し恥じらいを感じ
ポケットに手を入れた。
後世にこの悲惨な現状を忘れさせないためにも永久に
保存していくと書かれてあった。
私は疑問を感じている。
これほどまでに広島・長崎の原爆が戦争という悲劇の
象徴化のように知られているが、これだけが戦争の
悲劇ではない。
確かに原爆という傷跡は過去にないことであり、被爆者の
方達も現在暮らしていて、生き証人として後世に語っている。
戦争は恐ろしいことであり、無意味なことである。
もし戦争が意味あるとするならば、時の権力者達の野心と
戦争をビジネスにしている輩たちであろう。
広島原爆が特別な戦争の象徴ではないと思う。
それ以前に何千年前にもこのような悲惨な戦争を繰り広げて
きたのである。そのときの無残にも殺された人たちのことを
この広島原爆で亡くなられた方達と同じように哀れみ悲しんで
いるだろうか?
今でさえ、私達の地球の裏側では私達の知らない
悲惨な戦争がおきているのだ。
だから疑問なのだ。
何故、原爆を落とされ朽ち果てようとする建物を永久に保存
するのだろうか?
メンテナンスとは老朽化した建物に新しい息吹(材料)を
掛けて再生していくものだ。
修復工事とは新しい形で保存して建物を守っていくものであり
それによって、過去は滅びていくのだ。
古いものを新しく再生していくことは伝統である。
修復した時点でそれは過去のものではない。
今から千年後、この広島原爆ドームはそのときの
日本人になにを感じさせるのだろうか?
今現代の人たちとは違う感覚だと私は思う。
酷な言い方で恐縮ですが、忘れられていく・・・・
忘れてくれたほうが幸せな世の中になっていくと
私は感じているのだ。
私はある意味いいときにこの場所に来たと思っている。
こんな修復している原爆ドームなのど見られるものではない。
そして修復しているという事実も知らせてくれた。
私は何も手を掛けないでほしいと思う。
手を掛けずいずれ風化してこの建物が崩れ崩壊したとき
ひとつの戦争の悲惨な思い出が消え去るような気がする。
また、突然の死でさまよい続けている霊たちにも本当の
戦争の終結を気づかせるのではないだろうか
私だったら、崩壊したこの地に大きな大木を植えるだろう。
そして緑の自然の美しさを後世に受け継がせていくのである。
平和の願いとは、戦争を起こさないことではなく、幸せに向かって
生きていくことに意識を向けていくことだ。
色即是空・・・・・永久などこの世には存在しない。
形あるものは滅びていくのである。そこに美しさがあることを
私達日本人は知っているのだ。
これをもちまして広島特集を終了させていただきます。
ご拝読ありがとうございました。
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