今晩は薄井宣正です。
前回の作品。ブログ№626 ミスターMの続きです。
前回は年甲斐もなく大人になりきれない私がそこにいました。
ロス疑惑でアメリカ政府により逮捕されたミスターMが自殺した。
そのときの私は、ミスターMがさも犯人かのような文章を書き連ねた。
そして、時間をおいて、今度は違う角度から物事を考えてみようと思う。
あなたは、トム・ハンクスのグリーンマイルという映画を見たことが
ありますか?
トム・ハンクス・・・・彼は天才ですね。素晴らしい俳優だと思います。
1935年、死刑囚舎房看守主任・ポールの許に少女殺しの罪で送られてきた
死刑囚ジョン・コーフィ。 身長2メートルを超える異様な姿とその罪とは裏腹に、
彼は子供ように純粋な心を持ち舎房“グリーンマイル”を奇跡の光で満たしてゆく…。
ファンタジー映画だ。
身長2メートルあるジョンはその風貌から極悪非道にも思われる。
だが、その外見とは裏腹にとてもピュアで優しい男なのである。
そして、少女殺しの汚名を付けられたが、真実は殺していないのである。
いわゆる冤罪だ。
町の人々は深く悲しみ、ジョンを人間とは見ない誹謗中傷の
渦に巻き込み陥れたのだ。
しかしジョンはそんな民衆に臆することなく、死刑という事実を
受け入れたのである。
その真実は、死刑囚のジョンと死刑囚舎房看守主任・ポールこと
トム・ハンクスそして神のみぞ知る物語だ。
死ぬことに何の未練もなく怖さもないジョンは何処が幸せな
顔をしていた。
ミスターMが重なった。
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人は、犯罪者を悪人のごとく接する。
そして、出来事の良し悪しで、その犯罪者の価値も評価も変っていく。
被害者の身内の方にすれば、犯人に対して殺してやりたいほどの
復習と憎悪に染まっていく。
では、被害者も加害者も自分の身内だったら見方はどうなるだろう
自殺はよくないものだが、死刑という形も決して良いものではない。
なぜなら、死刑にされた者にも身内がいるからだ。
憎悪に終わりはない。
許す心は・・・・はたして自分の身にふりかかってきたら・・・
酷ですよね。
私はまだまだ人間ができていないから・・・・・・
生きるとは、そうして試されるんだろうね。
私は耐えられない。だからそうならないよう原因と結果の
狭間に生じる縁を大切にしていこうと思うのだ。
※冤罪については【2006/12/6日 エントリー№265 冤罪】をご覧になってください。
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